ゴー宣ジャーナル&エッセイ、
本日はDOJOサポーター・ただしさんの
登場です!
私はコロナ禍の頃、運送屋で働いていた。
世間と同じく、社内でも最初はそれほどマスク圧は高くなかった。
県をまたいで荷物を配送している長距離トラックの運ちゃんから、東京を初め他県の支店でもマスクの着用はまばらだと聞かされていた。
クラスターとか言って世間で騒がれ始め、長距離運ちゃんのマスク率も徐々に上がって行った。聞くと、どの店でもマスク着用が常識へと変わって行っているようだった。
いつの間にやら長距離運ちゃんのマスク着用率が100%になった。
支店長を初めとする事務職も、県内を走る中・小型トラックの運ちゃんも、当たり前のように100%するようになった。
私は、店の中で荷物の仕分けなどをする業務員だった。昼と夜の部に分かれ24時間体制で稼働する中、私は夜専門。
昼の部のマスク着用率100%、夜の部50%。
私は、ずっとマスクをしなかった。
当初から機会を見付けては、「マスクに感染予防効果はほとんど無いこと」や「新型コロナは風邪とほとんど変わらないこと」、「インフルエンザほど怖くはないこと」を地味に社内で喧伝していた。
「もし人に移したらどうするんだ」「クラスターが起きたら責任とれるのか」「マスクしろよ」と強めに言われたこともあったが、冷静に反論したり上手くやり過ごしたりしつつ、自分を通して来た。
同じ職種の中に、何人かマスクをしない人がいた。長期間しなかった人もいた。違う職種の中にも、ホーム作業では外す人もいた。
店では結局、最後までマスク着用が義務にはならなかった。
「事務所内は原則マスク着用」というルールは出来た。けれども、作業をするホームでは強制もなく、マスク圧もなく、暗黙のルールもないまま、収束した。
最後まで強要されることはなかった。
私の功績は大きいと思う。
コロナ禍の初期の頃は、何度か東京へ行った。帰って来ると必ず熱が出た。間違いなくコロナだと思った。
職場には、旅行へ行くとは言えなかった。
一度、1人の同僚に話したら周りが不穏な空気になり、上司からも「まさか行きませんよね?」と念押しされたので、笑って否定し黙って行った。
旅行から帰宅し熱が出ても、夜勤のため出勤まで時間に余裕があった。その時間を使って治そうと必死になった。
治し方は、小林先生と全く同じ。食って寝て汗かいて熱を出しきる。
でも、出勤までに完治することはなかった。
職場は人数に余裕がない。しかも休むとコロナと疑われてしまう。
コロナ禍前までは、風邪を引いても出勤し、だましだまし治していた。結局、その方法で行こうと決めた。
ただしマスクは必須だ。でも自分は普段マスクを着けない。着けると確実に怪しまれる。そもそもマスクを今買えるのか。
出勤前コンビニへ寄ると、マスクはないが睡眠用アイマスクがあった。色はピンク。迷わず買った。
装着すると、口が収まらない。布が足りない。
でも無いよりはマシと、口を覆いきれないピンクのアイマスクを着けて出社した。
さっそく鋭いツッコミが入った。マスクをしていることにではなくて、ピンク色したひょうたん型のマスクを着けていることに。
フラつく私はその日、職場のいたるところで爆笑をかっさらった。
職場では、ドアノブに触れないように注意し、トイレや食事の際にも神経を尖らせた。人と至近距離で、長い時間喋らないようにもした。
後日、感染者が出ないことにホッとした。
仕事帰りにコンビニへ寄ると、まだマスクは置いてなく、残り1枚となっていたアイマスクを再購入。
「ナプキンを口に当てる男」の異名はしばらく続いた。
『コロナ論』シリーズでよしりん先生が数限りなくやっていた、完全無意味なマスクのつけ方を、実際にやってた人がいたというお話でした。
淡々とした筆致の分、可笑しさがジワジワ来ます。
コロナ禍の最中、どれだけ馬鹿なことを強要されていたか、そして、それにどう対応したかといったことは、時間が経つとどんどん忘れ去られて行くので、今のうちに書き残しておくことには意味があるのではないでしょうか。(時浦)